作品解説
未来のノスタルジー “ジャポニズム”
Nostalgie du Futur “ Le Japonisme”
本作「未来のノスタルジー “ジャポニズム”」に登場する楽曲について、演奏者である福井真菜氏による解説をご紹介いたします。
作品をより深く味わうための一助として、ぜひご一読ください。
Vol.1 未来のノスタルジー ジャポニズム
クロード・ドビュッシー
映像第二集より
「葉ずえを渡る鐘の音」
「そして月は廃寺に落ちる」
「金色の魚」
1907年に作曲された「映像第二集」は、「鐘」、「月」、「寺」、「金色の魚」といった題材からも分かる通り、ドビュッシーの東洋趣味を色濃く反映しています。
ドビュッシーはこの曲集に関し、出版社のデュランに“虚栄心を抱くことなく、私はこの3つの曲が共にピアノ文学の中で、シューマンの左に、あるいはショパンの右に、それぞれの位置を占めると信じている” と書き送っており、自信を持って世に送り出した様子が見受けられます。「葉ずえを渡る鐘の音」はペンタトニック和声が頻繁に使用されており、「金色の魚」は、日本製の漆塗りのお盆に描かれた錦鯉の絵に触発された作品です。
モーリス・ラヴェル
「水の戯れ」
ラヴェルがパリ音楽院在学中の1901年に作曲したピアノのための作品で、師ガブリエル・フォーレに献呈され、1902年4月5日にリカルド・ヴィニェスによって初演されました。楽譜にはアンリ・ド・レニエの碑文「Dieu fluvial riant de l’eau qui le chatouille」(くすぐる水に笑う河の神)と記されています。
“1901年に出版された “Les Jeux d’eau(水の戯れ) “は、私の作品に見られるピアニスティックな革新の原点である。 この曲は、この曲は、水の音と噴流、滝、小川が奏でる楽音に触発されたもので、ソナタの原型のような二つのモティーフに基づいているが、古典的な調性計画に固執していない”(モーリス・ラヴェル著、自伝的スケッチ、1928年)。
ペンタトニック和声で始まるこの曲を、フォーレは非常に高く評価していましたが、サン=サーンスは「不協和音以外の何物でもない」と切り捨てました。とはいえ、「水の戯れ」はすぐに大成功を収め、ラヴェルの音楽的な個性が決定的に確立されるとともに、ドビュッシーをはじめとする同時代の作曲家たちにも大きな影響を与えました。
組曲「マ・メール・ロワ」より
「パゴダの女王 レドロネット」
『Ma mère l’Oye 』は、シャルル・ペローの童話(『眠れる森の美女』、『親指小僧』)、ルプランス・ド・ボーモン夫人の童話(『美女と野獣』)、ドールノア夫人(『緑の蛇』)の物語に基づく作品。当初は、友人のゴデブスキ夫妻の二人の子供のためにピアノ連弾の形で書かれ、その後、Jaques Charlot(作曲家、第一次世界大戦にて戦死)によりピアノソロ譜に編曲されました。
童話の一節 『彼女は服を脱ぎ、お風呂に入りました。すぐに金と宝石で覆われた小さな陶器の人形たち、パゴダとパゴディーヌは歌い始めました:一人はクルミの殻で作ったテオルボを、もう一人はアーモンドの殻で作ったヴィオラと共に』が楽譜の冒頭に記されており、花と噴水、異国の樹木、宝石と陶器の人形たちの国で暮らすことになった皇女の話に相応しく、東洋和声が頻繁に使用されています。
クロード・ドビュッシー
前奏曲第二集より
「ヒースの荒地」
前奏曲第一集より
「亜麻色の髪の乙女」
「沈める寺」
クロード・ドビュッシーの前奏曲集は、1909年12月から1913年4月にかけて作曲され、フレデリック・ショパンの「24の前奏曲集」へのオマージュとしての作品です。この曲集はドビュッシーのピアノ作品の集大成と言えるでしょう。当作品集は、ドビュッシー自身が「旅に出る余裕がないときは、想像力で補う」とも語っているように、描写的な絵画というよりは、旅や白昼夢への誘いとして捉えられます。
「ヒースの荒地」は、東洋趣味というよりは、冷涼で厳しいヨーロッパの自然の中で可憐な花を咲かせるヒースを題材とした作品であり、「亜麻色の髪の乙女」と並んで、スコットランド民謡的な響きの中に、ペンタトニック和声が聴こえてきます。
「沈める寺」は、正確には「(海に)呑み込まれた大聖堂」という意味であり、ノルマンディーの海に浮かぶモン・サン=ミシェルを思い浮かべるのは私だけではないでしょう。
なだらかな海が徐々に泡立ち、渦巻き始め、やがて海からその壮麗な伽藍が現れ、また呑み込まれていく様が音によって表現されています。
ドビュッシーはこの曲の始まりにペンタトニック和声を使用しており、それによって神秘的な雰囲気を醸し出すことに成功しています。
時を超えた自然の雄弁な沈黙と荒々しさが見事に表現された傑作です。
Vol.2 未来のノスタルジー ジャポニズムとオリエント
アレクサンドル・スクリャービン
2つの詩曲より 「作品32-1」
5つの前奏曲より 「作品16-1 」
スクリャービンは1871年にモスクワで生まれ、1915年に没したロシアの作曲家であり、ドビュッシーやラヴェルたちと同世代であり、フランスでも活躍しました。詩人のボードレールやバリモントの象徴主義における哲学と宗教性を音に表現し、神智学に傾倒した神秘主義者であった彼は、4度音程の堆積による和声を多用することで、神秘和音と呼ばれる独自の和声語法を確立します。発展を続けた調性音楽の飽和から崩壊の危機にあった19世紀末のヨーロッパ音楽の作曲家たちが、調整からの離脱と新たな語法の確立を担ったときに、ペンタトニック和声の確立と共に新たな語法を確立したのがスクリャービンでした。
「詩曲」、「5つの前奏曲」共に、感情や官能性、宇宙観を音に顕しており、当時、ジャポニズムと共に大きな文化的潮流であったオリエントへの憧憬、象徴派の詩人、神秘主義の哲学からの影響が色濃く反映されています。
クロード・ドビュッシー
「アラベスク 第1番」
「アラベスク」とはアラビアの美術様式のことであり、北アフリカからアラビア半島までの地域を指す言葉です。和声進行と流線的な旋律の絡み合い、幾何学的パターンを感じさせる左右対称の動きは、アラビアの唐草模様やイスラムの建築のような幾何学模様を彷彿とさせる名曲です。ドビュッシー初期の作品であり、まだ後期ロマン派の影響が垣間見れます。
カロル・シマノフスキ
メトープ 作品 29より
「セイレーンの島」
「カリュプソー」
「ナウシカー」
カロル・シマノフスキ(1882-1937) が1915年に作曲したピアノのための作品。
メトープは、パレルモ博物館に所蔵されているセリヌンテ神殿のメトープに着想を得たもので、この曲集はホメロスの『オデュッセイア』から3つのエピソードを取り上げたものです。シマノフスキはオリエントの哲学に造詣が深く、シチリアや北アフリカを長期滞在しながら多くの作品を作曲するとともに、イスラム文化、古代ギリシャ演劇、哲学の研究に没頭しました。ドビュッシーの印象主義とスクリャービンの和声語法に大きな影響を受け、独創的で多彩な色調のハーモニーを特徴とし、表現豊かな旋律様式を保ちながら、無調の素材も用い、20世紀において重要な役割を果たした作曲家の一人です
武満徹
「閉じた眼II」
武満徹の作品の中には切り詰められた抑制の美と清澄さ、そして官能性の両方が存在し、生前、彼自身がよく語っていた通り、ドビュッシーやメシアンたち、フランス音楽の影響を強く感じさせます。
19世紀のフランスの画家、ルドンの作品「閉じた眼」に触発されて作曲されました。
「雨の樹 素描」
「雨の樹 素描」は大江健三郎の短編集「雨の木を聞く女たち」に影響を受けた作品です。
この曲に流れる鮮明な葉脈のような細部と、時たま夢の破片のように顕れ消えていく水滴の反響は、自然の静けさの中に休むことなく流れる音楽を、そっと人の耳に聴こえるように紡ぎ合わせたかのようです。
『音というものはすでに在って、「音の河」というものの中に自分が在り、作曲という行為はその流れに自分の掌をふと触れるに過ぎない』武満徹
「雨の樹 II オリヴィエ・メシアンの追憶に」
ほぼ独学であった武満は彼独自の美学と哲学を見事に融合した、非凡な音世界を創り出しました。ドビュッシーやメシアンを敬愛し多大な影響を受けた武満は、メシアンの死を偲び、「雨の樹 II」を作曲しました。この曲は大江健三郎の短編小説「頭のいい雨の木」にインスピレーションを受けており、小さな葉が水を蓄え、雨が止んだのちもずっと雨粒を降らせ続けるという奇跡の木をイメージしています。夢のような豊かな色彩と陰影にあふれ、「Celestially Light(天空の光)」や「Joyful(歓喜)」という指示が書き込まれており、形而上学性質を持つこの曲は、武満が最後に残したピアノ曲となりました。
「フォー・アウェイ」
武満は、「フォー・アウェイ」を作曲する前にバリ島を訪れており 、そこで聴いたバリ島の伝統音楽であるガムランの即興演奏に感銘し、この曲を作りました。エキゾチックで神秘的な響きと革新性の融合が見事な作品であり、19世紀末のパリ万博においてドビュッシーがガムラン音楽に多大な影響を受けたことと合わせ、一種のジャポニズムの集大成とも言えるでしょう。
Vol.3 未来のノスタルジー 珠玉の小品
クロード・ドビュッシー
「月の光」
リュリ、クープラン、ラモー、フォーレを経てドビュッシーへと至るフランス音楽には、常に詩的な香気が溢れています。
特にドビュッシーの音楽には、静けさと共に繊細でありながら官能的な至福に溢れており、「月の音を聴く」という言葉を残した彼の音の光と影、濃淡、密度は、マラルメやヴェルレーヌ等の詩人たちと深く関わったドビュッシー独自の音へのセンスによるものと言えるでしょう。
「月の光」は、ドビュッシー初期の作品である「ベルガマスク組曲」の中の一曲であり、アルベール・ジローの詩集「ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)」を彷彿とさせます。
リリ・ブーランジェ
「古の庭」
「月の庭」
1913年に女性として初めてローマ大賞を受賞したリリ・ブーランジェは、ローマのヴィラ・メディシスに滞在し、彼女がまだ20歳であった1914年に当地において作曲されました。崇高で柔らかな詩情に溢れ、彼女の天才性を強く感じさせる作品です。
24歳で重い病気で亡くなったリリの和声語法は独特で、のちにジャズにも影響を与えました。D’un vieux jardin「古の庭」は、そのノスタルジーと優しさが特徴的であり、1911年に出版されたフランシス・バーネットの小説「秘密の花園」を思い浮かべるのは私だけではないかもしれません。
D’un jardin clairは、直訳すると「明るい庭」という意味ですが、個人的には「月によって明るく照らされた庭」と解釈しており、「月の庭」と訳しました。
デオダ・ド・セヴラック
「日向で水浴びする女たち」
「セヴラックの音楽はとても素敵な香りがする。心の隅々まで全てが息づいている(舘野泉訳)」とドビュッシーが讃えたセヴラックは、スペインのアラゴン王朝に関係のあった旧貴族の血筋であり、南仏で活動をした、フランス印象音楽の最高峰とも称される作曲家です。
「日向で水浴びする女」は1908年に作曲され、ピアニスト、アルフレッド・コルトーに捧げられました。 水と光の反映が煌めき、ラモーやクープランの作風を彷彿とさせる優雅であり華麗な作風に、フランス音楽の真髄を感じさせます。
「水の精と不謹慎な牧神」
「日向で水浴びする女」と同時期の作品であり、「夜のダンス」の副題がついています。まばゆい太陽の光に溢れた真昼の音楽である「日向で水浴びする女」と対照的に、こちらは夜の月の光に輝く裸身がしなやかに踊る様を描いた幻想的な音楽であり、夏の夜の夢のような美しさに満ちています。
ジェルジ・リゲティ
ピアノのためのエチュード第5番「虹」
リゲティは20世紀に活躍したハンガリー系オーストリア人の作曲家であり、キューブリックの映画にも彼の音楽がよく使われたことでも知られています。
彼は1980年代から2000年ごろまで、三冊のピアノエチュード集を作曲しましたが、彼は生涯そのプロジェクトノートを手放すことはなく、ピアノエチュード集はリゲティの音楽の集大成的な作品です。
リゲティの知的好奇心は多岐に渡り、アフリカからアジアの音楽文化に精通していました。またそれだけではなく、ロックやレゲエ、サルサなど他の音楽ジャンル、絵画や建築、化学、フラクタル図形等にも造詣が深く、ピアノエチュード集は、彼の溢れるばかりの知識を背景に生み出された作品です。
モーリス・ラヴェル
「亡き王女のためのパヴァーヌ」
「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、モーリス・ラヴェルが1899年にポリニャック王女に献呈したピアノ曲で、ピアノ版は1902年4月5日、ピアニストのリカルド・ヴィニェスによってパリで初演されました。
パリ音楽院でガブリエル・フォーレに作曲を師事していた頃の作品であり、スペインの宮廷での優雅で高貴な踊りを彷彿とさせます。ラヴェル自身は作品について、「これは亡くなったばかりの皇女への嘆きではなく、昔のスペインの宮廷で王女が踊っていたかもしれないパヴァーヌを想起させるものだ」と付け加えています。ラヴェル自身は自分の初期の作品であるこの曲に対して「シャブリエの影響が強すぎる」と言って批判的でしたが、憂愁で優しさに満ち、包容力のある主題の美しさは筆舌しがたく、世界中で愛される名曲です。
エリック・サティ
「ジムノペディ 第1番」
芸術とアカデミックな既成のルールに対し、生涯に渡って問題提起を突きつけ、それに逆らうことに生涯を捧げた異端児、エリック・サティ。サティによって提起されたテーマは、その後の20世紀の音楽に多大な影響を与えました。
フロベールの「サランボー」を読んで、古代ギリシャの舞曲によるピアノ曲という着想を得、また、友人の詩人、Patrice Contamine de Latour(1867-1926)の詩からもインスピレーションを得たと言われています
まばゆい奔流が斜めに影を切り裂きながら
磨かれた板の上を黄金の流れが流れる
琥珀色の原子が炎の中で輝き
サラバンドとジムノペディが混ざり合い
福井真菜(ピアニスト、本作品キュレーション)