作品解説

未来のノスタルジー “ハルモニア”
Nostalgie du Futur “Harmonia”

本作「未来のノスタルジー “ハルモニア”」に登場する楽曲について、演奏者である福井真菜氏による解説をご紹介いたします。
作品をより深く味わうための一助として、ぜひご一読ください。

Vol.4 未来のノスタルジー ハルモニア I

「組曲 展覧会の絵」はジャポニスムがヨーロッパを席巻していた同時期にロシアの作曲家、ムソルグスキーによって作曲されました。

西洋的な和声学、音楽学では捉えきれない表現は、この作品が西洋と東洋の狭間に位置するロシアという土壌から生まれたことを改めて認識させられます。広大な大地を彷彿とさせる土着的な表現と、宇宙的な拡がりと荘厳さを併せ持つ傑作です。

モデスト・ムソルグスキー

「組曲 展覧会の絵」

ジャポニスムがヨーロッパを席巻していた同時期に作曲された作品であり、のちにラヴェルによって1922年に管弦楽化されました。

ムソルグスキーの友人の画家、ハルトマンが39歳の若さで急逝し、その才能を惜しんだ友人たちによって開催された遺作展を訪れたムソルグスキーがインスピレーションを受け、わずか20日ほど書き上げた、と言われています。ラヴェルの編曲によって一躍有名になりましたが、ムソルグスキーの生前には一度も演奏されたことはありませんでした。

ハルトマンの描いた10枚の絵の印象と、その間に挟まれた5回の「プロムナード」によって構成されています。

ムソルグスキーはロシアの教会旋法や民族音楽から影響を受け、西洋音楽の語法に捉われない独自の具象的な音楽語法を確立した作曲家です。また、「展覧会の絵」において彼がインスピレーションを受けたハルトマンの絵は、フランスやポーランド、イタリアなど様々な国の風景が描かれており、多角性を持った作品です。

ドビュッシーの「喜びの島」、ラヴェルの「洋上の小舟」等と同じく、絵画によってインスピレーションを得た作品の一つであり、大きな視点における創造の多様性を持つこの曲は、単一の民族的要素に捉われない無限性と融合、生命賛歌を感じさせます。

西洋的な合理性では捉えきれない土着的な表現と、宇宙的な拡がりや荘厳さを併せ持つ傑作です。

曲目解説


プロムナード I

ムソルグスキー自身の、絵と絵の間を歩く姿を表現しており、毎回曲想が異なります。

同じテーマながら毎回変化していき、ムソルグスキー自身の気分の変化を表現しています。

最初は頻繁に現れるテーマの頻度が徐々に減っていく様子は、鑑賞者が絵に深く浸り、次第に移行部分に注意を払わなくなっていくかのようです。西洋クラシック音楽との標準的なリズムとは異なり、強拍と弱拍が入り混じることにより、空間的な拡がりを感じさせます。


No.1 小人

脚が曲がった小人の形をしたくるみ割り器が描かれている、ハルトマンの失われたスケッチを元にしています。

想像の世界で動き出す小人が飛び跳ね、立ち止まり、敏捷に動きまわる様を断続的なメロディとリズムに見事に置き換えています。おどろおどろしい調性の中、奔放な和声とアクセントが遊び心のある雰囲気を醸し出しています。時々、危険を察知したかのように立ち止まり、警戒をし続けますが、最終的に逃げ出し、クライマックスの速い旋律と共に、風のように去っていきます。


プロムナード II

最初の情熱的な印象とは異なり、新たな調和で優しさを帯び、物思いに耽るように次の場面へと移ります。


No.2 古城

この作品は、ハルトマンがイタリアで建築を学んでいた頃に描いた水彩画に起因しています。ムソルグスキーとハルトマンの共通の友人であった芸術評論家 スターソフの回想によると、この絵の背景には古い城があり、前景にはリュートを弾く吟遊詩人が描かれていたということですが、展覧会のカタログにはこの絵は見つかりません。

美しく哀愁に満ちたメロディーが伸びやかに響き、かつての城の繁栄を感じさせる静かで哀しげな雰囲気を醸し出します。徐々に眠りにつくように消えていきますが、最後に現れる力強い響きは、時を超えて差し伸べられた別れの口づけのようです。


プロムナード III

非常に簡潔な8小節のプロムナード。次の場面への過渡的な役割を果たしています。


No.3 チュイルリーの庭 遊んだ後の子供たちの喧嘩

スターソフは、パリのチュイルリー庭園の通路が描かれた絵があったことを回想しています。

「多くの子供達と彼らの乳母たちがいた」場面であり、童謡や子供のいたずらを連想させる主要テーマは、前の曲とは対照的です。そのリズムは会話のような印象を与え、乳母たちが子供達を落ち着かせようとしているイントネーションを感じさせます。その後最初のテーマが再び表れ、子供たちがいう事を聞かず騒いでいる、生き生きとした夏の庭園の様子が表現されています。


No.4 ビドロ(牛車)

ムソルグスキーはスターソフへの手紙の中で、この曲を「Sandomirの牛」と名付けています。巨大な車輪を備えたポーランドの荷車と、それを引く牛の風景であり、牛の重い足取りと、東欧の民謡を歌い上げる農夫の悲しげな歌声が響き渡ります。生涯に渡って労働を強いられる牛と農夫の重苦しい生活と、光と救済の無さが描かれた暗い絵が浮かび上がります。ムソルグスキーの自筆譜では、この曲の冒頭からffの指示があるのですが、ラヴェルの編曲した管弦楽版では馬車が近づいている様子を劇的に表現するために静かに始め、徐々にクレッシェンドをしてクライマックスに持っていく手法を取っています。


プロムナード IV

ムソルグスキーの暗く沈んだ心情のようにマイナー調で響くプロムナード。悲しさは、次の楽章の最初の音が繋がることで中断されます。ムソルグスキーが目の端に活気ある絵を捉え、その印象を追うかのように。


No.5 卵の殻をつけた雛鳥のバレエ

ハルトマンが、Jules Gustavovich Herbert (1831-1883)のバレエ、「Trilby」の衣装のために描いたスケッチからムソルグスキーが着想を得て作曲されました。このバレエには、スターソフが記述したように「カナリアの仮装をして舞台を走り回るシーン」があり、中には「卵の中にいるように鎧のような姿で描かれたものもいた」とのことです。ハルトマンはバレエのために17点のスケッチをし、そのうちの4点が現存しています。

コミカルで軽快で、やや混乱したダンスは3部形式によって構成されています。第一部は軽快で乱れた跳ね回る動き、第二部は規則的で整然とし、響きを強化したクライマックスの後、再度第一部を繰り返します。

軽妙さと厳格さが共存することが、この曲の喜劇的要素を際立たせています。


No.6 ザムエル・ゴルデンベルクとシュムイレ

ハルトマンは、ムソルグスキーに1868年にポーランドで製作した2点の絵画を贈ったと言われています。

スターソフは、これらの絵画をムソルグスキーが高く評価していた事を覚えており、この絵画を基盤としています。

ムソルグスキーはこの2点のスケッチを一つに統合し、二人の人物の性格を音楽の中で明らかにしました。

重厚なメロディは自信に満ちた冷静な人物、高音部は哀れで懇願する人物を表現しています。

「ゴルデンベルグ」は「金の山」を連想させる、強いドイツ系の名前。そして「シュムイル」は対照的に異国風の名前です。初版では、「ポーランドの二人のユダヤ人、富者と貧者」というタイトルが付けられていました。


プロムナード V

最初とほぼ同じ形で再現されますが、音の重なりがより厚みを増し、空間が拡大されていく感覚を覚えます。


No.7 リモージュの市場

ムソルグスキーは手稿の冒頭に、市場で耳にする噂話に関するフランス語の冗談をいくつか書き、その後それらを削除しました

「大ニュース:パンタ・パンタレオンのピンプアン氏が、彼の牛『ラ・フュジティブ』をようやく見つけた」

「はい、奥様、それは昨日でした」「いいえ、奥様、それは一昨日でした」

「ええ、奥様、その動物は近辺をうろついていました」「いいえ、奥様、その動物は全くうろついていませんでした」

 「大ニュース:プイサングー氏が『ラ・フュジティブ』という名の牛をようやく見つけた。しかし、リモージュの淑女たちはこの件について同意してない。なぜなら、ルムブルサック夫人は美しい陶器の歯を手に入れた一方、パンタ・パンタレオン氏は依然として目立つ鼻—牡丹のような赤っ鼻—を保持しているからだ」

ハルトマンの絵画の存在は知られておらず、展覧会のカタログにも掲載されていません。


No.8 カタコンブ ー 死せる言葉による死者への話しかけ

ハルトマンの絵画の中で、彼は建築家、Vassili Alexandrovitch Kenel (1834-1893) と共に、パリの地下墓地でランタンを持つ案内人と共に描かれています。絵の左側には、薄明かりに照らされた頭蓋骨が見えます。

時に強く、また柔らかく、暗闇の地下墓地のエコーのような響きの中に、過去の影のようにプロムナードのメロディが浮かび上がります。

スターソフはリムスキー=コルサコフに次のように書いています。

「…ハルトマンの『パリの地下墓地』という絵に基づくこの音楽は、すべて頭蓋骨で構成されている。 私たちの親愛なるムソルグスキーは、まず暗い地下室を表現した。その後、トレモロで最初のマイナー調のテーマが現れ、頭蓋骨に光を投げかけ、突然、ハルトマンのムソルグスキーへの詩的な呼びかけが響き渡る… 」

悲しげなマイナー調で始まった対話は、徐々にメジャー調へと移行し、聴き手を閉じ込められた感覚から解放し、あの世との関係の和解を告げます。ハルトマンを故郷へ戻すように、この曲は締めくくられます。


No.9 鶏の脚の上に建っている小屋(バーバ・ヤーガ)

ハルトマンの自宅で見つかった鶏の脚がモティーフとなった青銅の時計のスケッチが元になっています。

それを基に、ムソルグスキーの想像力は全く異なるもの、悪の力に満ちた力強い魔女、バーバ・ヤガの姿を生み出しました。

冒頭において、衝動的な和音が繰り返されます。不気味な響きはバーバ・ヤガの混乱と悪意を表現し、不規則なアクセントは、彼女の木製の脚による不自由な歩みを模倣しています。これらの音の背景に、喜びに満ちたメロディが、すべてを吹き飛ばすように現れます。優しくも不安定な和音に満ちた場面の後に最初のテーマが突然戻り、飛翔を暗示する調べと共に駆け上がり、最終曲の歓喜に満ちた和音に飛び込んでいきます。


No.10 キエフの大きな門

1866年、キエフにて暗殺を免れたアレクサンドル2世は、街に記念碑的な城門を建設するためのコンクールを実施します。ハルトマンはこのコンクールに応募しましたが、最終的にコンクールは開催されませんでした。ハルトマンの設計は球状の鐘楼を備えた塔を持つ、古風なスタイルを採用していました。

この最終曲は荘厳さを色鮮やかに描き、壮大で華麗な雰囲気に溢れています。広大なロシアの大地を思わせるメロディ、教会の讃美歌のような調べ、鳴り響く鐘の響きに「プロムナード」のテーマの逆行音形が重なり、今までの伏線を全て回収する形で壮大なフィナーレに向かいます。


Vol.5 未来のノスタルジー ハルモニア II

ライヒは20世紀のミニマル・ミュージックの代表的作曲家です。

シックス・ピアノズは、彼のユダヤ哲学、思想、美学が深く反映された作品であり、ユダヤの象徴、六芒星を意味していると思われます。2次元で六芒星は六角形ですが、3次元上では、二つの正四面体を重ね合わせた形になります。

この形は相反する要素の統合や調和を意味すると考えられています。このことは、受動と能動、天界と地界など、両極世界が反目することなく調和する姿を彷彿とさせ、異なる文化・世界が共鳴し合うことにより調和し、1つの統合された世界が顕われる様子を感じさせます。

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」は広大な大地、雄大な自然、人間の営みを感じさせる「地」的な作品、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はモーツァルトの内なる宗教性の最高の昇華であり、精神の純粋さ、誠実さ、強い精神性を感じさせる「天」的な作品として収録しました。

スティーブ・ライヒ

「シックス・ピアノズ」

スティーブ・ライヒは両親ともにユダヤ人であり、ユダヤの哲学、神学に大きな影響を受け、神秘主義的にもさまざまな象徴を残している作曲家です。

6台のピアノは六芒星が顕す象徴と重なります。六芒星はダビデの星とも呼ばれ、ユダヤ民族を象徴するシンボルです。日本においても籠目紋として使用され、魔除けのシンボルでもあります。2次元で六芒星は六角形ですが、3次元上では、二つの正四面体を重ね合わせた形になります。

上向きの正三角形(能動的原理)と、下向きの正三角形(受動的原理)が上下に合わさる姿は、二つのピラミッドが上下に合わさる形とも重なり、古代エジプトにおいては、その中心点はファラオの復活と神聖を表すものでもあります。

また、この形は相反する要素の統合や調和を意味すると考えられています。このことは、受動と能動、天界と地界など、2つの世界が反目することなく調和する姿を彷彿とさせ、異なる文化・世界が共鳴し合うことにより調和し、1つの統合された世界が顕われる様子を感じさせます。

今回、六芒星の形に配置された6台のピアノの中心点にマイクを設置して録音されましたが、立体音響で聴くと、中心点を軸として音が回転していくことに驚かされます。音の回転と、没入感による主体の不在、浮遊感による宇宙的な拡がり。これこそが、この作品においてライヒが意図したことではないかと推察します。

現代の最先端の技術により、一人の演奏者による立体音響による多重録音が実現したことで、独特のグルーブ感が生まれました。


セルゲイ・ラフマニノフ

「ヴォカリーズ(久松義恭 編曲)」

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」は元々母音のみで歌われる歌詞のない声楽曲であり、様々な楽器用に編曲をされました。

深い哀愁と人生を慈しむような抒情性に溢れ、広大な大地と雄大な自然を彷彿とさせる名曲です。 


アマデウス・モーツァルト

「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

(フランツ・リスト編曲)

モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、彼の死(1791年)の半年前に作曲されました。

元々は声楽曲であり、主イエス・キリストの聖体を賛美する内容の讃美歌で、のちにフランツ・リストによってピアノ独奏のために編曲をされました。

簡素ながら、モーツァルトの内なる宗教性の最高の昇華であり、最高傑作の一つです。

精神の純粋さ、誠実さの精華であり、崇高な魂の清廉、そして強い精神性を感じさせる天上の響きに溢れています。

Ave verum corpus natum de Maria virgine, 

Vere passum immolatum in cruce pro homine.  

Cujus latus perforatum un da fluxit et sanguine,   

Esto nobis praegustatum in mortis examine.

めでたし処女マリアより生まれ給いしまことの御身体、

人のために苦しみを受け、十字架上に犠牲となられ、 

御脇腹は刺し貫かれ、水と血とを流し給えり

願わくは死の試練に当りて

我らのために先んじて天国の幸いを味わしめたまえ


作品解説

未来のノスタルジー “ジャポニスム”
Nostalgie du Futur “ Le Japonisme”

本作「未来のノスタルジー “ジャポニスム”」に登場する楽曲について、演奏者である福井真菜氏による解説をご紹介いたします。
作品をより深く味わうための一助として、ぜひご一読ください。

Vol.1 未来のノスタルジー ジャポニスム

クロード・ドビュッシー

映像第二集より

「葉ずえを渡る鐘の音」

「そして月は廃寺に落ちる」

「金色の魚」

1907年に作曲された「映像第二集」は、「鐘」、「月」、「寺」、「金色の魚」といった題材からも分かる通り、ドビュッシーの東洋趣味を色濃く反映しています。 

ドビュッシーはこの曲集に関し、出版社のデュランに“虚栄心を抱くことなく、私はこの3つの曲が共にピアノ文学の中で、シューマンの左に、あるいはショパンの右に、それぞれの位置を占めると信じている” と書き送っており、自信を持って世に送り出した様子が見受けられます。「葉ずえを渡る鐘の音」はペンタトニック和声が頻繁に使用されており、「金色の魚」は、日本製の漆塗りのお盆に描かれた錦鯉の絵に触発された作品です。


モーリス・ラヴェル

「水の戯れ」

ラヴェルがパリ音楽院在学中の1901年に作曲したピアノのための作品で、師ガブリエル・フォーレに献呈され、1902年4月5日にリカルド・ヴィニェスによって初演されました。楽譜にはアンリ・ド・レニエの碑文「Dieu fluvial riant de l’eau qui le chatouille」(くすぐる水に笑う河の神)と記されています。

“1901年に出版された “Les Jeux d’eau(水の戯れ) “は、私の作品に見られるピアニスティックな革新の原点である。 この曲は、この曲は、水の音と噴流、滝、小川が奏でる楽音に触発されたもので、ソナタの原型のような二つのモティーフに基づいているが、古典的な調性計画に固執していない”(モーリス・ラヴェル著、自伝的スケッチ、1928年)。

ペンタトニック和声で始まるこの曲を、フォーレは非常に高く評価していましたが、サン=サーンスは「不協和音以外の何物でもない」と切り捨てました。とはいえ、「水の戯れ」はすぐに大成功を収め、ラヴェルの音楽的な個性が決定的に確立されるとともに、ドビュッシーをはじめとする同時代の作曲家たちにも大きな影響を与えました。


組曲「マ・メール・ロワ」より

「パゴダの女王 レドロネット」

『Ma mère l’Oye 』は、シャルル・ペローの童話(『眠れる森の美女』、『親指小僧』)、ルプランス・ド・ボーモン夫人の童話(『美女と野獣』)、ドールノア夫人(『緑の蛇』)の物語に基づく作品。当初は、友人のゴデブスキ夫妻の二人の子供のためにピアノ連弾の形で書かれ、その後、Jaques Charlot(作曲家、第一次世界大戦にて戦死)によりピアノソロ譜に編曲されました。 

童話の一節 『彼女は服を脱ぎ、お風呂に入りました。すぐに金と宝石で覆われた小さな陶器の人形たち、パゴダとパゴディーヌは歌い始めました:一人はクルミの殻で作ったテオルボを、もう一人はアーモンドの殻で作ったヴィオラと共に』が楽譜の冒頭に記されており、花と噴水、異国の樹木、宝石と陶器の人形たちの国で暮らすことになった皇女の話に相応しく、東洋和声が頻繁に使用されています。


クロード・ドビュッシー

前奏曲第二集より

「ヒースの荒地」

前奏曲第一集より

「亜麻色の髪の乙女」

「沈める寺」

クロード・ドビュッシーの前奏曲集は、1909年12月から1913年4月にかけて作曲され、フレデリック・ショパンの「24の前奏曲集」へのオマージュとしての作品です。この曲集はドビュッシーのピアノ作品の集大成と言えるでしょう。当作品集は、ドビュッシー自身が「旅に出る余裕がないときは、想像力で補う」とも語っているように、描写的な絵画というよりは、旅や白昼夢への誘いとして捉えられます。 

「ヒースの荒地」は、東洋趣味というよりは、冷涼で厳しいヨーロッパの自然の中で可憐な花を咲かせるヒースを題材とした作品であり、「亜麻色の髪の乙女」と並んで、スコットランド民謡的な響きの中に、ペンタトニック和声が聴こえてきます。

  「沈める寺」は、正確には「(海に)呑み込まれた大聖堂」という意味であり、ノルマンディーの海に浮かぶモン・サン=ミシェルを思い浮かべるのは私だけではないでしょう。

なだらかな海が徐々に泡立ち、渦巻き始め、やがて海からその壮麗な伽藍が現れ、また呑み込まれていく様が音によって表現されています。

ドビュッシーはこの曲の始まりにペンタトニック和声を使用しており、それによって神秘的な雰囲気を醸し出すことに成功しています。

時を超えた自然の雄弁な沈黙と荒々しさが見事に表現された傑作です。 


Vol.2 未来のノスタルジー オリエントと日本

アレクサンドル・スクリャービン

2つの詩曲より 「作品32-1」

5つの前奏曲より 「作品16-1 」

スクリャービンは1871年にモスクワで生まれ、1915年に没したロシアの作曲家であり、ドビュッシーやラヴェルたちと同世代であり、フランスでも活躍しました。詩人のボードレールやバリモントの象徴主義における哲学と宗教性を音に表現し、神智学に傾倒した神秘主義者であった彼は、4度音程の堆積による和声を多用することで、神秘和音と呼ばれる独自の和声語法を確立します。発展を続けた調性音楽の飽和から崩壊の危機にあった19世紀末のヨーロッパ音楽の作曲家たちが、調整からの離脱と新たな語法の確立を担ったときに、ペンタトニック和声の確立と共に新たな語法を確立したのがスクリャービンでした。

「詩曲」、「5つの前奏曲」共に、感情や官能性、宇宙観を音に顕しており、当時、ジャポニスムと共に大きな文化的潮流であったオリエントへの憧憬、象徴派の詩人、神秘主義の哲学からの影響が色濃く反映されています。


クロード・ドビュッシー

「アラベスク 第1番」

「アラベスク」とはアラビアの美術様式のことであり、北アフリカからアラビア半島までの地域を指す言葉です。和声進行と流線的な旋律の絡み合い、幾何学的パターンを感じさせる左右対称の動きは、アラビアの唐草模様やイスラムの建築のような幾何学模様を彷彿とさせる名曲です。ドビュッシー初期の作品であり、まだ後期ロマン派の影響が垣間見れます。 


カロル・シマノフスキ

メトープ 作品 29より

「セイレーンの島」

「カリュプソー」

「ナウシカー」

カロル・シマノフスキ(1882-1937) が1915年に作曲したピアノのための作品。

メトープは、パレルモ博物館に所蔵されているセリヌンテ神殿のメトープに着想を得たもので、この曲集はホメロスの『オデュッセイア』から3つのエピソードを取り上げたものです。シマノフスキはオリエントの哲学に造詣が深く、シチリアや北アフリカを長期滞在しながら多くの作品を作曲するとともに、イスラム文化、古代ギリシャ演劇、哲学の研究に没頭しました。ドビュッシーの印象主義とスクリャービンの和声語法に大きな影響を受け、独創的で多彩な色調のハーモニーを特徴とし、表現豊かな旋律様式を保ちながら、無調の素材も用い、20世紀において重要な役割を果たした作曲家の一人です


武満徹

「閉じた眼II」

武満徹の作品の中には切り詰められた抑制の美と清澄さ、そして官能性の両方が存在し、生前、彼自身がよく語っていた通り、ドビュッシーやメシアンたち、フランス音楽の影響を強く感じさせます。

19世紀のフランスの画家、ルドンの作品「閉じた眼」に触発されて作曲されました。

「雨の樹 素描」

「雨の樹 素描」は大江健三郎の短編集「雨の木を聞く女たち」に影響を受けた作品です。 

この曲に流れる鮮明な葉脈のような細部と、時たま夢の破片のように顕れ消えていく水滴の反響は、自然の静けさの中に休むことなく流れる音楽を、そっと人の耳に聴こえるように紡ぎ合わせたかのようです。 

『音というものはすでに在って、「音の河」というものの中に自分が在り、作曲という行為はその流れに自分の掌をふと触れるに過ぎない』武満徹


「雨の樹 II  オリヴィエ・メシアンの追憶に」

ほぼ独学であった武満は彼独自の美学と哲学を見事に融合した、非凡な音世界を創り出しました。ドビュッシーやメシアンを敬愛し多大な影響を受けた武満は、メシアンの死を偲び、「雨の樹 II」を作曲しました。この曲は大江健三郎の短編小説「頭のいい雨の木」にインスピレーションを受けており、小さな葉が水を蓄え、雨が止んだのちもずっと雨粒を降らせ続けるという奇跡の木をイメージしています。夢のような豊かな色彩と陰影にあふれ、「Celestially Light(天空の光)」や「Joyful(歓喜)」という指示が書き込まれており、形而上学性質を持つこの曲は、武満が最後に残したピアノ曲となりました。


「フォー・アウェイ」

武満は、「フォー・アウェイ」を作曲する前にバリ島を訪れており 、そこで聴いたバリ島の伝統音楽であるガムランの即興演奏に感銘し、この曲を作りました。エキゾチックで神秘的な響きと革新性の融合が見事な作品であり、19世紀末のパリ万博においてドビュッシーがガムラン音楽に多大な影響を受けたことと合わせ、一種のジャポニスムの集大成とも言えるでしょう。


Vol.3 未来のノスタルジー 珠玉の小品

クロード・ドビュッシー

「月の光」

リュリ、クープラン、ラモー、フォーレを経てドビュッシーへと至るフランス音楽には、常に詩的な香気が溢れています。

特にドビュッシーの音楽には、静けさと共に繊細でありながら官能的な至福に溢れており、「月の音を聴く」という言葉を残した彼の音の光と影、濃淡、密度は、マラルメやヴェルレーヌ等の詩人たちと深く関わったドビュッシー独自の音へのセンスによるものと言えるでしょう。

「月の光」は、ドビュッシー初期の作品である「ベルガマスク組曲」の中の一曲であり、アルベール・ジローの詩集「ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)」を彷彿とさせます。


リリ・ブーランジェ

「古の庭」

「月の庭」

1913年に女性として初めてローマ大賞を受賞したリリ・ブーランジェは、ローマのヴィラ・メディシスに滞在し、彼女がまだ20歳であった1914年に当地において作曲されました。崇高で柔らかな詩情に溢れ、彼女の天才性を強く感じさせる作品です。

24歳で重い病気で亡くなったリリの和声語法は独特で、のちにジャズにも影響を与えました。D’un vieux jardin「古の庭」は、そのノスタルジーと優しさが特徴的であり、1911年に出版されたフランシス・バーネットの小説「秘密の花園」を思い浮かべるのは私だけではないかもしれません。

D’un jardin clairは、直訳すると「明るい庭」という意味ですが、個人的には「月によって明るく照らされた庭」と解釈しており、「月の庭」と訳しました。


デオダ・ド・セヴラック

「日向で水浴びする女たち」

「セヴラックの音楽はとても素敵な香りがする。心の隅々まで全てが息づいている(舘野泉訳)」とドビュッシーが讃えたセヴラックは、スペインのアラゴン王朝に関係のあった旧貴族の血筋であり、南仏で活動をした、フランス印象音楽の最高峰とも称される作曲家です。

「日向で水浴びする女」は1908年に作曲され、ピアニスト、アルフレッド・コルトーに捧げられました。 水と光の反映が煌めき、ラモーやクープランの作風を彷彿とさせる優雅であり華麗な作風に、フランス音楽の真髄を感じさせます。


「水の精と不謹慎な牧神」

「日向で水浴びする女」と同時期の作品であり、「夜のダンス」の副題がついています。まばゆい太陽の光に溢れた真昼の音楽である「日向で水浴びする女」と対照的に、こちらは夜の月の光に輝く裸身がしなやかに踊る様を描いた幻想的な音楽であり、夏の夜の夢のような美しさに満ちています。


ジェルジ・リゲティ

ピアノのためのエチュード第5番「虹」

リゲティは20世紀に活躍したハンガリー系オーストリア人の作曲家であり、キューブリックの映画にも彼の音楽がよく使われたことでも知られています。

彼は1980年代から2000年ごろまで、三冊のピアノエチュード集を作曲しましたが、彼は生涯そのプロジェクトノートを手放すことはなく、ピアノエチュード集はリゲティの音楽の集大成的な作品です。

リゲティの知的好奇心は多岐に渡り、アフリカからアジアの音楽文化に精通していました。またそれだけではなく、ロックやレゲエ、サルサなど他の音楽ジャンル、絵画や建築、化学、フラクタル図形等にも造詣が深く、ピアノエチュード集は、彼の溢れるばかりの知識を背景に生み出された作品です。


モーリス・ラヴェル

「亡き王女のためのパヴァーヌ」

「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、モーリス・ラヴェルが1899年にポリニャック王女に献呈したピアノ曲で、ピアノ版は1902年4月5日、ピアニストのリカルド・ヴィニェスによってパリで初演されました。

パリ音楽院でガブリエル・フォーレに作曲を師事していた頃の作品であり、スペインの宮廷での優雅で高貴な踊りを彷彿とさせます。ラヴェル自身は作品について、「これは亡くなったばかりの皇女への嘆きではなく、昔のスペインの宮廷で王女が踊っていたかもしれないパヴァーヌを想起させるものだ」と付け加えています。ラヴェル自身は自分の初期の作品であるこの曲に対して「シャブリエの影響が強すぎる」と言って批判的でしたが、憂愁で優しさに満ち、包容力のある主題の美しさは筆舌しがたく、世界中で愛される名曲です。


エリック・サティ

「ジムノペディ 第1番」

芸術とアカデミックな既成のルールに対し、生涯に渡って問題提起を突きつけ、それに逆らうことに生涯を捧げた異端児、エリック・サティ。サティによって提起されたテーマは、その後の20世紀の音楽に多大な影響を与えました。

フロベールの「サランボー」を読んで、古代ギリシャの舞曲によるピアノ曲という着想を得、また、友人の詩人、Patrice Contamine de Latour(1867-1926)の詩からもインスピレーションを得たと言われています

まばゆい奔流が斜めに影を切り裂きながら
磨かれた板の上を黄金の流れが流れる
琥珀色の原子が炎の中で輝き
サラバンドとジムノペディが混ざり合い


福井真菜(ピアニスト、本作品キュレーション)

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